田母神論文の当否-第二次大戦における日本の功罪

早くも年末、お元気ですか。

11月初め、田母神論文が世評を騒がせましたが、これからはオピニオン誌が論文の当否を論じ合うと思います。

かって、村山談話と同主旨の細川首相の発言に対して、衆議院議員だった石原現都知事が史実の誤りを指摘しましたが、細川氏は歴史観の相違の一点張りで逃げました。

私達は当論文に関わる史実を客観的に概観し、私達なりに論文の当否を考えてみましょう。

第二次大戦二年目の1941年8月、ルーズベルトはチャーチルと大西洋上で会談し、”この戦争は、英国の様な植民地大国が第一次大戦終了時に米国が提唱した植民地独立を実施していたら起きなかった。戦争責任の半分は英国にもある”と、戦後の植民地放棄を約束させました。

私はビルマの対英独立戦争を戦った老人が、”日本人は共に英国と戦った戦友だった”と涙ぐむ映像を見たことがあります。
マレーシア戦略国際問題研究所長ノルディン・ソピー氏も1994年9月4日付朝日新聞朝刊で、”日本によりアジアが欧米への劣等意識を克服し、自己主張を始めた”、”日本人が英国の無敵の強さという神話を打ち砕いた”と語っています。

”日本が欧米の旧植民地の独立を早めた”という人達は、中東や西アジア・アフリカ等に多数いますが、ノルディン・ソピー氏は”細川氏の反省と謝罪の言葉に感動した”とも述べており、日本擁護論の心の奥は複雑です。

南京大虐殺の犠牲者が数十万というのは明らかに虚構ですが、当時南京に在住していた欧米人のメモ類を見ると3~4万は確実のようで、中国人に大きな苦痛や悲しみを与えたことは事実です。

日本を自虐的に罵倒し蔑むのは誤りですが、第二次大戦に関する日本の功罪の功の評価は、20~30年後にアジア・アフリカ諸国の歴史の中で自然に明らかになっていくのを待つ方が良いと思います。

尚、ルーズベルトや蒋介石は策略家でしたが、策謀家の証拠はまだ乏しいと思います。

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