日本人にしか順守義務のない憲法の条文だけで日本の平和と独立を守るのは不可能

小豆のお手玉はとても優しい
握るとつるつる袋の中でふれる
さらさらと小豆のお喋りのよう
おひとつ、おふたつと歌と一緒に放りあげ
おっさらいと手元におさめる

姫路の小豆餡製造会社が広告文の中で戦時中の子供の情景を描写した文章の一部です。

昭和20年春以降、連日朝から艦載機が来襲して動くものは牛馬まで撃たれ、夜は深夜から明け方までB-29の大編隊が大都市を爆撃しました。

学校にも行けず防空壕の中で過ごすことも多くなりましたが、子供達はお手玉や童べ歌を唄いながら遊びに興じて過ごしていたものです。
3月末硫黄島が、6月末に沖縄が陥ちた後は、激化する空襲下で子供達も来たるべき本土決戦を待つ日々を過ごしました。

後知恵で当時を種々批判する人をみかけますが、当時の日本は今ほど都市化が進んでおらず、東京でさえ「市」は八王子と立川だけで、空襲による国民の敗北感が田舎では少なかったこともあり、士気はかなり旺盛でした。

けれども空襲で連日死傷者があり戦死者の英霊の出迎えと入れ代わりに出征兵士を送り、戦況は日に日に不利で、勇ましいが、人の別れや死が身近にあり、どこか物悲しく淋しい疲労感の漂う時代でした。
食糧不足は凄まじく、主食はもちろん、甘い菓子や美味な食事を知らずに幼児期を過ごす子供が大半でした。
日本の国力はまさに尽きかけていました。

この体験に拠って、安全保障の軍事的裏付けの必要性を否定する非武装中立論が台頭し、今も教育界や政界に名残が見られますが、第1次・第2次大戦を含めて、戦時中立国の立場を守り通した国と中立を侵犯された国の運命を分けたものは、戦時国際法が規定する中立国の義務を履行できたか否かでした。

日本人にしか順守義務のない憲法の条文だけで日本の平和と独立を守るのは不可能なことを理解し、国際的視点に立って歴史的事例を絶えず調べることが大切ですが、今の日本に最も欠けていることです。

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