中東情勢の根深い歴史 - カナンの地パレスチナ地方ガザ地区の安定

昨年末から年初めにかけて、アラブ難民最強硬派組織ハマスとイスラエル軍がパレスチナ地方のガザ地区で交戦し、多数の市民が犠牲になりました。ガザ地区は東京23区の半分以下の面積360平方キロ、人口250万で、イスラエルとエジプト国境に位置する地中海に面した小さな地域です。

パレスチナは数千年間、多くの民族の帝国が興亡を繰り返し、旧約聖書の伝承では紀元前3761年アダムとイヴの楽園追放時、神がユダヤ人に与えた乳と蜜の流れるカナンの地とされています。

ユダヤ人はイスラエル王国とユダ王国を建てましたが、西暦70年にユダ王国がローマ帝国に亡ぼされて以降、ユダヤ人たちは世界各地を流浪しました。

しかし、神様との約束があり、いつかはカナンの地に帰れると、ユダヤ教の信仰により民族の一体感は強く保たれていました。
同化しないユダヤ人は各地で迫害に遭い、特に第2次大戦中、ナチスにより600万人が命を奪われました。

1948年、国際連合はパレスチナをユダヤ地区とアラブ地区に分割し、1878年振りにユダヤ人の国が再興されました。

しかし、2000年近くこの地に住んでいたアラブ系の住民とアラブ諸国が猛反対し、ユダヤ地区に侵攻して返り討ちに遭い、ヨルダン川西岸とガザ地区を除くアラブ地区もイスラエル地区に併合され、周辺アラブ諸国に大量のパレスチナ難民が逃げ込みました。

1973年までに断続的に4回の戦いがあり、戦いの度にイスラエルの占領地域が拡大され、1979年にエジプト、1995年にヨルダンが講和条約を結び戦いから離脱しました。

現在もヨルダン西岸のアラブ地区とゴラン高原でもイスラエルとパレスチナ難民組織の間で交渉が難航しており、特に難民の最強硬派ハマスとテロに対して大量報復主義をとるイスラエルが戦っているガザ地区が本当に安定するには何年もの時が必要でしょう。

コメントを残す

このページの先頭へ