シビリアンコントロール-戦後50年の自衛隊と世論(第2回)

1.シビリアン・コントロール (市民による統制 = 文民統制)

 シビリアンというのは「市民」のことで、諸外国では正当に選ばれた市民代表が官僚や軍人を指揮統制して、市民の利益に奉仕させることをシビリアン・コントロールと言います。

 米国では市民代表たる大統領が行政官僚と陸海空3軍の最高指揮権を有しております。

米国やヨーロッパは、歴史の中で市民が支配層と争いながら国家の独立や権利を獲得した伝統があり、試験だけで採用されたものには、法律の範囲内で地位や権限を付与しますが、選挙で選ばれた人が最高の地位と権限を掌握します。

また権力は行政、司法、立法に分かれ、他の権力には互いに干渉できないことになっています。

米国大統領は市民代表の最高司令官として、朝鮮戦争当時、五つ星(ファイブスターズ)のマッカーサー元帥を簡単に解任しましたが、その大統領も上下両院の決定や連邦最高裁判所の決定には従わねばなりません。

 文治に関しては国防長官や統合参謀本部議長のような中央の最高人事、軍の大きなキャンペーン、編成、予算、宣戦布告、講和などは上院の同意が必要です。

このやり方は内政や外交などの面でも同様で、シビリアン・コントロールは上院によって行われていると言えます。

ヨーロッパ諸国も議会制民主主義の定着している国は、この米国の方式に近いものですが、英国は特に議会がオールマイティで「実質的主権は議会にあり、国民はその主権者を選挙する」と言ってもよいのではないかという感じがします。

しかも面白いのは、名目的主権者はキングやクイーンであり、キングやクイーンが各権力を権威付けることにより、他の権力からの独立が保たれていることです。

 シビリアンと言うのは軍人や官公吏を除く、市民だと言うことです。

 我が国で、統帥権は天皇に直属するから、他の権力は干渉するなと言って軍隊が暴走し、内閣も裁判所も、議会も抑えることができず、天皇の最高顧問機関として憲法に規定されていた枢密院の枢密顧問すら、物が言えなくなった時代の反省の上に立ち、戦後の一時期からシビリアンを敢えて「制限を着用しない文官」と解釈して、自衛官の発言を極度に制限し役人より低い地位を与えるということが行われました。

 しかし、米国でもヨーロッパでも軍人は国家戦略や政治に関わることは、政府から求められた時に重要なことを発言する以外は公の場や外部に向かって発言することは規制されています。

 けれども国の安全保障や大災害から国民を守る人々に対しては、高い社会的地位を認め、儀式の席次も公的な格式が同格の時は文官よりも軍人に上席を与え、名誉と敬意を捧げるのが常識とされています。

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