平和に対する考え方-戦後50年の自衛隊と世論(第3回)

2 平和に対する考え方

 村山内閣の下で「自衛隊は合憲」であり、「日米安保は日本の最重要な外交政策の骨格をなす」の二点を社会党が認め現実路線に転ずるまでは、軍事と名の付くものは、あたかも血の匂いを嗅ぎつけたサメが獰猛に襲い掛かるように、国家利益や国家の尊厳も無視して否定することが平和主義の証でもありました。

 この点について、災害派遣や海外での大規模災害を例にとって、具体的な事例を紹介してみたいと思います。

(1)阪神大震災の場合
(2)自衛隊の海外派遣

(1)阪神大震災の場合

 阪神大震災で陸海空の自衛隊が大きな働きをしました。
その後、「自治体から自衛隊への要請が円滑なら、2000人から3000人の人命が救助できた」と言う反省に始まり、装備や編成についても、広く議論され、反省点を指摘されました。

ところが新聞の投書欄に、自治体職員という人の自衛隊反対の立場から、「自衛隊は戦闘訓練や野営訓練、移動訓練ばかりやっていて、災害派遣訓練はほとんどやっていない」「各自治体に災害救助隊を作れ」と言う主張が掲載されました。

 大災害の時は都市機能が破壊されており、自己完結型の組織でないと機能しにくいことは明白です。
 このことは阪神のみならず、過去の大災害でも立証されており、諸外国でも、都市機能が壊滅した時は、自治体の機能が回復するまでの間は、軍隊が出動します。

 自衛隊の戦闘訓練は、厳しい事態に機敏な判断を求め迅速に対処する行動能力や不撓不屈の気力体力を練成しています。都市機能の壊滅した所でも、強固なチームワークを保って力強く働く、タフネスの源泉となるものです。

野営訓練や移動訓練は被災地で直ちに役立つものです。自衛隊を批判した自治体職員のような人たちの発言は自衛隊に反対であるがゆえになされるのか、誤った平和主義のゆえに軍事知識が皆無になっているからかのいずれかでしょう。

 自衛隊という高度に訓練された組織があるのに、災害のみの別組織に大金を賭けて、各自治体別に作ることの非効率さと無意味さになぜ気付かないのか不思議に思います。

 石原都知事は「すでに立派な組織があるのだから、大いに利用しよう」と都市型防災訓練に自衛隊の大部隊を銀座に集中させる等の実行に移しています。

(2)自衛隊の海外派遣

 30年以上前の池田内閣の頃、レバノンの内戦に対処するため、国連が停戦監視団を派遣しました。日本にも陸海空の3佐~2佐クラスの幹部自衛官を6人ほど派遣して欲しいと依頼してきました。

日本は当初応じても良いと思ったのですが、非武装中立を唱えていた政党が「海外派兵」だと、ヒステリックに騒ぎ、進歩的文化人と自称する人々や軍事に無知な同調者らが、これに迎合し、政府は停戦監視団への参加を取り止めました。

ところが松平国連駐在大使が休暇で帰国した時に、この件でマスコミの取材を受け「この程度の国際協力をしないと、国際社会でのお付き合いは難しくなる」と発言しました。

当時非武装中立を党是としていた政党は、この発言を政治問題化し、「松平大使を更迭しないのなら大詰めの予算審議を拒否する」と騒ぎ、松平大使はインド駐在大使に転出しました。

それ以降、国連は日本に平和貢献を依頼しなくなりました。

しかし、約30年近い月日が流れ、その間、世界各地で大規模災害や紛争が発生し、物や金を出しても、国家として日本が人を派遣しないことに対する諸外国の風当たりが強くなり、政府としても放置できなくなりました。

ところが、緊急援助のために全省庁が集まって法案作りのための相談をした時、海部首相は糾弾を避けるために、わざと防衛庁を除きました。

産経新聞と読売新聞は「実の無い組織が出来る」と懸念しましたが、他の新聞は「防衛庁がこういうことに不具合な組織だと言うことを各省庁が知っているから除かれた」と防衛庁の除外を支持し、災害の時救難作業に自衛隊の航空機よりも日航ジャンボ機の方が性能は上と、防衛庁をこき下ろす始末でした。

 ヘリコプター搭載艦にはヘリコプター本体と整備機能があり、世界各地へ積載量の大きなヘリコプターを迅速に展開できる事実に触れず「ヘリコプターは輸送に時間がかかる」と切って捨てました。

 しかし、産経や読売の懸念どおり、自己完結型でない、しかもクリティカルな日常の訓練をしていない省庁だけの緊急援助は派遣しても、大きな実効が上がりませんでした。

つまり、行った先にインフラストラクチャが無い時は自衛隊でないと現地の宿泊施設や食料を使用するため、かえって足手まといになり、国際法上の不可侵権を持つ自衛隊なら、相手との調整だけで自衛隊自身が安全上の責任を持つのに対して、消防庁や保安庁は相手の国に安全や行動に関する指揮監督の責任が負わされるのです。

湾岸の機雷掃海以後、自衛隊は世界各地で活躍していますが、こういうことが当然になるまでに約半世紀の年月を要したのです。

バングラディシュでサイクロンによる大災害が発生した時、「一日20トンのブドウ糖とリンゲル水を中心とした栄養剤を搬送できれば、この収容所で死亡した幼児や老人を死なせずに済んだが、我々のヘリでは必死に頑張っても1日4トンが精一杯で500人の幼児を死なせた。」と消防庁から派遣された人が残念そうに語る姿をテレビで見ました。

南極支援の海上ヘリや陸自・空自の輸送用ヘリなら1日40トンでも可能だったのです。行き過ぎた平和主義が行動を妨げました。

災害等により航法援助施設が利用できない時の計算による推測航法について、海上自衛隊はピカイチです。

日航ジャンボ機は優れた性能を備えた立派な航空機ですが、災害時に推測航法だけでローカル空港を使う時は自衛隊の固定翼機とヘリコプターの組み合わせの方が大きな力を発揮することは間違いありません。

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