戦後50年の自衛隊と世論(第1回)

第1回
はじめに
 昭和25年1月マッカーサー元帥は年頭の所感で、日本にも国家の基本的な権利の一つである「自衛権」があることにふれています。

 半年後の6月25日に起きた朝鮮戦争は「フルシチョフ回想録」によると、金日成が2月にスターリンにモスクワで提案し、4月に具体案を示して同意を取り付けたということであり、この段階ではマッカーサー元帥は知る由もありませんでした。

 しかし、この朝鮮戦争が自衛隊の原型とも言うべき、警察予備隊発足のきっかけとなりました。
 その2年後に保安体と警備隊の陸・海の部隊に再編され、更に2年後の昭和29年に防衛庁の下に陸海空3自衛隊となり、現在に至りました。

 その間、政治の世界では、ただひたすら「平和!」と呪文を唱え、「非武装で中立」を国是としようというグループと「必要最小限の防衛力」を持って国の安全と大規模災害に対応しようというグループが、「国の安全保障のためにどのような自衛隊にするか」ではなく、「憲法の条文に照らして安全保障のために自衛隊を持つべきか否か」という不毛の議論が約50年も続けられました。

 この議論は次の二点を念頭に置けばもっと現実的な議論が出来たと思います。
 一点は「憲法は国内法であり、日本国憲法は国内では最高法規ですが日本の領域外では拘束力はありません。日本人が外国の憲法を守る義務も学ぶ義務もないのと同じく、外国人は我が国の憲法を守る義務も知る必要もありません。スポーツに例えるならば、ローカル競技場のグランドルールでしかない」ということです。もう一点は、これに対して戦争や平和の問題は「戦時国際法という、世界中の国が国内法に優先して守る義務を有する法律に従う」ということです。

 この二点は憲法学の権威宮沢俊義、国際法の権威で元最高裁長官の横田喜三郎両先生の学説に従うもので、文明諸国の憲法には明示されており、我が国の憲法には第98条にその規定があります。

 しかし、「日本では憲法で平和が守れる」と思っている人がかなりいて、不健全な、国家観の欠如した論がまかり通っています。

 自衛官が正当に評価され、市民の軍隊として育つことを念願し、約半世紀にわたる自衛隊の歴史を通じ、世論とその副作用について考えの一端を述べてみようと思います。

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