自衛隊を知らない人達について(4)

2 世間の無理解への対応
 10年余り前の2月初めのある全国紙に、当時55歳の女性の「嫌悪感を持った自衛隊パンフ」と言う投書が掲載されました。

 その概要は「(前略)…自衛隊は軍隊と私は解釈している。軍隊は戦うためにある。戦うとは人を殺すこと。殺しの集団に我が子を入れるわけには行かない。戦争体験者として、自衛隊員募集のパンフをもらうだけでも背筋に寒いものが走る…(後略)」と言うものです。

昭和50年代初めまではこの種の投書への反論はなかったと思います。

ところがこの5日後同じ欄に、4月に息子が入隊すると言う45歳の女性の「入隊後の息子の成長が楽しみ」と言う反論が載りました。

「隊員募集のパンフに嫌悪感を持ったとのご意見を読み、怒りを覚えました。息子は今春高校を卒業して入隊の予定です。自衛隊は軍隊で殺しの集団と言って好感を持たれていないようですが、少し間違っていると思います。自衛隊は雲仙普賢岳の活躍など危険な仕事にも率先して出動しています。そういう隊員さんたちを息子は尊敬しています。わが子がどれほどお役に立つか分かりませんが張り切っています。入隊後の成長を楽しみに、入隊式には夫婦で参加し、門出を祝ってやるつもりです。」

この反論への再反論はありませんでしたが、「自衛隊は人殺し集団と、決め付けた夫人の年齢から逆算すると、日華事変の年に生まれており、自称戦争体験者ですが、終戦時は私より低学年の小学生であり、戦後の教育を受けた発言であろうと思います。

私は戦後「学問の自由のために平和が必要であり、そのためには一国の興亡など問題ではない。非武装で攻められたら、降伏すれば、平和だ」と説いた中学校の先生を知っています。

この反自衛隊の女性も恐らく同類の先生の教育を受けて、固まってしまったのでしょう。

この女性は中立国の義務を果たすことが出来ずに50年間独立を失ったバルト三国や強大国に振り回されて、「主人にひたすらかしづいて生かしてもらっている惨めな奴隷と同様の平和」を余儀なくされた弱小国と同様な体験をするまでは考え方の根本を改めることは出来ないと思います。

しかし諦めて口をつぐむのではなく、私たち父兄は世界の常識の上に立って、自分自身の考え方をみがき、若い隊員たちを、自衛隊に対する無理解や知識不足から来る根拠の乏しい批判や罵倒などから守る盾の役目を果たす心がけをもって、つとめることが大切だと思います。

次回は「隊員の労苦を世間に知らせること」について、述べたいと思います。

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