旧ソ連構成国に対するロシアの動き

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
 風の音にぞ 驚かれぬる

古今和歌集の藤原敏行の詠歌を思わせる季節です。
北京五輪開幕当日、黒海とカスピ海の間のカフカス地方と呼ばれる地域のグルジア領南オセチア自治州でグルジア軍とロシア軍が衝突しました。
この地域は古代ギリシャ、ローマ、ペルシャ、トルコなど言語や宗教の異なる多くの民族や文化が勢力争いを続けた後、1877年から1878年にかけてロシアがトルコを排除してキリスト教世界を恢復して以降、ロシアの支配下に入っています。

第一次大戦末期の1917年、ロシアは社会主義革命により民族毎に共産党独裁の社会主義共和国を作り、それらが連合してソビエト連邦(ソ連)を構成しましたが、バルト三国やグルジアはソ連に参加せずに独立主権国家を選び、1920年には西欧諸国が承認、翌年には国際連盟にも加盟しました。

ところが、ソ連の権力を握りかけていたグルジア人のスターリンは、「グルジア独立は、グルジア人の自分がソ連においてソ連人ではなく外国人になり、権力者の地位を失う」ことを恐れ、赤軍を派遣して1924年グルジアの独立を奪い、ソ連支配下の共和国にして、自分はソ連全体の独裁者になりました。1991年ソ連が解体し、グルジアを含む15の連邦構成国は独立主権国家になりました。

グルジアは国土が約5万平方キロ、人口約440万の小国ですが、ロシアを通らずにパイプラインでカスピ海の石油を最短コースで黒海へ移送しており、石油を外交手段としているロシアには不都合な国です。

南オセチアのオゼット人の宗教はグルジア人同様キリスト教が主体ですが、言語・慣習はロシア人に近く、ロシア編入の動きが出て、グルジア軍が出動したことにロシアが反応して戦いが始まりました。

ロシアは歴史的に領土の拡大と失地恢復には極めて執拗な国です。旧ソ連構成国に対するロシアの動きには今後も注目する事が必要です。

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